許せない心、離れていく人

虐待

自分の傷をさらけ出し祈ってもらう。必要なある時もあるし、心理カウンセラーなどプロの手に任せた方がよいと思うものもあります。

未成年の間に受けた虐待は特に根深く、祈り、祈られ癒されたと思っていても、数十年経ったある日、残っていた小さな種から芽を出してくるなんてことはあるし、表面化しなくなった分、根深く精神を蝕んでいくことも。

確かに神に癒しを受けたはずなのに、教会に受け入れられたはずなのに。なぜなんだろうと。

残念なことに虐待サバイバーが意を決して告白することで、教会から離れていく危険性があると思います。

教会には「いい人たち」が沢山います。その人たちは支えてくれたり共感してくれたりしますが、多くはあくまで素人で、その対応はただ感情的であったりで、決していい結果だけになるとは考えていません。

 

高校物理で作用反作用の法則なるものが出てきたと思いますが、虐待に対する反動も似てるなと。どこかで心のバランスをとろうとしますから。アイデンティティを否定され続け、「従順」に虐待を受け入れてきた結果、一般人には考え難い反動がでます。

個人的な見解ですが、クリスチャンが最も受け入れられないものは性に関する過去です。性的虐待を受けた結果、自慰さえしなくなったり、逆に自傷行為として性に奔放になり、風俗で働いている人は決して少数ではありません。別にそれが罪ではないと思いませんが、なぜか多くのクリスチャンは罪の重さを自分の価値観で計りたがり、納得しようとします。

もともと西洋の文化が混じって入ってきている宗教ですからね。クジラやイルカの命が魚より重かったり、命も罪も計れるなんてなんて万能な人たちだろう。

一旦教会に受け入れられてという思いは、疑心暗鬼に捕らわれれば脆く壊れてしまいます。

圧し殺していた感情も祈りによって炙り出された状態で周囲の目線に過敏になります。

教会には沢山の人たちがそれぞれの解釈を持って接してくる場所で、あなたの過去を決して受け入れられない人もいます。

表面上変わらず接しているつもりの人も、あなたは敏感に違いを感じてしまうと思います。日本人は悲しいぐらいに言葉以上のものを拾いあげてしまいますから。

教会では証しという名のもとに自分の経験をネタにする、なんてことも。 『Me too』 運動が広がらない文化背景です、皆があらわにすることを良しと考えるわけではない。

いつもは強いあなたでも、こんどはそれに耐えられないかもしれない。
虐待の傷の手術はプロの手に任せ、教会ではリハビリのために祈ってもらったほうがいいのではないかと思う。

安心できる教会と専門医、それぞれに役割があると思います。