聖者のフリするクリスチャン

クリスチャン

Yahooの知恵袋で、『キャバ嬢にもクリスチャンがいますか?』という質問があった。

ベストアンサーに選ばれていた内容に一瞬イラっ。でもどうやら回答者はキャバクラ関連の質問によく回答されている50代男性、まぁ世間が思うクリスチャン像にキャバ嬢はいないということか。

お酒を飲まし、色っぽいドレスを着ることとクリスチャンであることに整合性を求めている。そんなのあるわけないし。クリスチャンであることが聖者として生きることであれば、ムリゲー過ぎる。

 

『あの人、口ではクリスチャンと言っているけど、本当のクリスチャンじゃない』っていう人いるけど、なんだそれ?

例えその人がクリスチャンとしてあるまじき行為をしているかもしれないけど、だれ基準でもモノ言っているのだろう?何を裁きたいの?誰もが罪人だから等しく救いが必要なのでしょ?

正しく生きようとすることを否定したい訳じゃない。でもその人の一部を取り上げて魔女狩りや虐めのようなことが好きなクリスチャンはわたしを含め多く見てきた。ヨハネ8章3~11節にあるように、他人の罪を裁ける「罪のない者」はこの世にいないはずなのに。

「今後はもう罪を犯さないように」とイエス様が語られた。それを守り生きていくことが最善だとわかっていても、そう生きるのは難しい。今自覚している罪から離れるには人里を離れた山奥にでも住まない限りわたしには無理な気がする。

 

聖者のフリ、イエス様を体現しようと生きている人は、多くのものを神様に捧げてきた人なんだと思う。財産、若さ、友人関係、恋愛、家族、好奇心。

それに比べわたしは愚かな者だ。

それは愚かな者は愚かなことを語り、その心は不義をたくらみ、よこしまを行い、主について誤ったことを語り、飢えた者の望みを満たさず、かわいた者の飲み物を奪い取るからである。
イザヤ書 32:6 JA1955

自分の思いを吐き出すうちに、愚かなことを語り、主について誤ったことを語っているかもしれない。

偽善者とは口先で神を敬っているのに、心が遠く離れている人のことだと書いてある。

偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、 『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
マタイによる福音書 15:7‭-‬8 JA1955

だから、みんな偽善者になってしまっている瞬間があると思う。

わたしは愚か者で偽善者だ。こんなわたしを愛してくれる主の愛は計り知れない。