後悔の念に囚われたときに読む15の聖句

クリスチャン

人間関係で後悔

 

いろんな形で後悔することがある。最近も人間関係で憂鬱に思うことがあった。

同じ職場、学校、教会、趣味、長い付き合いであれば何かしら繋がりが残って、簡単には離れられない。

少し前までは親友だった人とは、沢山の思い出を作れたので、思い出すきっかけも多いし、会社でもすれ違う。

お互い支えあった友人といった感覚だから離れる必要性は感じていなかったのだけど、相手の拒絶が激しかった。

今はお互いよりよい環境を得ているので平穏しか願わないのだが、いちいち無視をされると気に障る。ダダ漏れしていた愛情表現がぷっつり切れた訳だから、意識はする。初めからこうなると想定していたはずなのに。

朝、膝掛けはくしゃくしゃのままだ。

こういうとき、必要なのは吐き出すことだけど、友達は聞き飽きたのか、履歴書用意しなよって話になってしまう。

 

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思い出して落ちこむ

本当の問題は、つられて過去のことを思い出して、what if ? 的な無駄な妄想に意識を使ってしまい、本格的に落ち込むことだ。

子育てや家族に及ぼした影響を考えてしまう。もっと子どもに時間使えたのに。

大切な人生時間を一時の楽しさのために費やしたのに、なぜ忘れようとするんだろ?後悔してるから?別に前に進むのに忘れる必要はないのに。

体も記憶も軽い方がいいのだろうか。

必要な癒しとか、息抜きとか、そんな時間だったのに。

たまった写真データは指1本で削除だけど、印刷物のほうがシンプルでよかった。クラウドに残さたデータ?楽しい想い出のままにしておいてくれたらいいのに。

そういえば、あの人のあのデータ、ガラケーにまだ残ってたりするのかな?連想ゲームのように昔のことを想い出す。

過去の記憶まで掘り起こしているけど、自爆する趣味はない。

そういえば昔、子どもを産むか迷っていたときに養子縁組を考えていることを友達に話したら、自分で育てられないなら産まないほうがいいって言われたのを思い出した。

All or Nothing. 全てかゼロか。

想い出もそんななのかな?

 

テレビを観てると袋田の滝の映像が流れていた。滝の記憶よりも川辺で食べた手作り弁当が鮮やかなのには我ながら笑ってしまう。

 

思い出地雷を踏んだときに読んだ15の聖句

イザヤ43:18-19

あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。見よ、わたしは新しい事をなす。

神様は過去の過ちを忘れてくださるから、わたしも神様に立ち帰ろう。

 

イザヤ41:10

恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。

お父さん!!

 

詩篇30:5

その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣き悲しんでも、朝と共に喜びが来る。

放蕩息子でも受け入れてくださるから。帰ろう。

 

ヨハネ14:27

わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

イエス様を愛し、言葉を守って。その痛みを手放して、愛と平安を受け取って。

 

黙示録21:4

人の目から涙を全てぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。

神様、慰めて。

 

マタイ11:28

すべての重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

神様、ごめんなさい、疲れました。疲れました。

 

エレミヤ書29:11

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。

自分勝手に生き急いでいた、心無いことをした、悲しませた、結婚しなかった、もっと子どもを持ちたかった。後悔ばかりなのに、立ち止まって、主に立ち帰れば、今までのことも良いようになるのかな。ご都合主義みたいだけど、甘えていいのかな?

 

ローマ5:8

しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

人生のどんな時でも、ドン底でも、罪で汚れきったわたしも愛してくれているから。

 

ローマ8:28

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

もう一度、しっかりとイエス様と歩みたい。

 

2コリント4:8-10

わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。

自分で招いた結果なのに、こんなわたしのためにイエス様は死んでくださった。

 

ピリピ4:6-7

何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい計り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

救えないほど失敗したのに、祈り、求めていいのですか。

 

詩篇147:3

主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。

神様は心を癒してくれる。

 

詩篇46:1-2

神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。

神様は一緒に乗り越える力をくださるから。

 

詩篇34:18

主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。

ずっと側にいるよ。

 

ヘブル13:5-6

金銭を愛することしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。だから、わたしたちは、はばからずに言おう、「主はわたしの助け主である。わたしに恐れはない。人は、わたしに何ができようか」

この世に囚われるはやめよう!