性的虐待と被害者が感じる罪悪感

虐待

汚れたクリスチャン

長いクリスチャン人生、綺麗な生き方ができてた時間はほんの僅か。

性的虐待を受け始めると自分が神様の前でも穢れていると感じてた。

庇護してくれるはずのクリスチャンの養父を完全には拒否できなかったから。だって子どもだった私には生きていくのに必要な存在だったから。

だけど言い訳だよね?自分が罪を犯させてる存在。自分が居なければ彼も罪を犯さないのだから。今思うとなんて自意識過剰なwww

いつだったか、多分あれから始まったのかな?っていう記憶がある。多分12かそのくらいの時かな?ガレージで養父の手伝いをしていた時、わたしを膝の上に座らせて…初めて人の手で触れられる感触を知って。 自慰は10前の時には覚えてたけど、その時はされたことの意味を理解していなかったんだよねぇ。

その時は嫌がらなかった。それどころか自分から離れることはなかった。 求めたんだね。ただ、その記憶=自分が悪い、その後起きるすべての原因になったんだ、と思うようになって。

自分の存在自体が「つまずきの石」そのものなんだと。でも教会ではわたしは愛される存在だと教えられどうしても帳尻が合わず苦悩してた。

『全部が嫌な記憶になるぐらいだったら楽しんじゃえば良かったのに、そしたら誘惑した自分だけが悪くて「クリスチャン」である養父が神様に対して顔向けできないことを自らしているなんてことを見なくてすんだのになぁ』っとある時から思うようになってた。

結局養母にばれたのか、なんなのか、わたしは家を出ることになった。

相変わらずキリスト教から離れず生活していく中で癒しを受けるために、自分の傷をえぐり返す作業をした。

まわりはお嬢さんとして育てられた優しい人ばかりで (実際は知らないけど)、でもそんな人たちが自分のしてきた経験をどの程度理解してくれたのかは知らないけど、教えてくれたのは相手を赦すことで癒されると。

12のこどもに大人がしてきたことを謝られることもなく赦せとは、この人たちは12のこどもを想像できないのだろう。

それでも何年かはそれで赦せた、過去に流せたと勘違いしてた。それはそれは幸せでした。

でもね、一回でも嫌がらずに受け入れてしまったという記憶、求めた記憶、これを告白することができず、それが棘のように心に残っていたんだろうね。その部分を含めて「あなたは悪くない」っていってもらえてなくて。

結局自分の一番苦しいところは隠してしまっていたから。

神様から離れて生きていく道を選んでしまった。

養父が放った呪いのことばが根を出してた。 「おまえはオモチャ」 それに相応しい職業、風俗を選んだ。

彼氏には自分を壊してくれる相手を選んだ。今まで壊れないように壊れないように耐えて耐えてたものを壊していく作業は気持ちよかった。

過去も未来もない刹那的な生活、セックスもクスリも今しか見れなくしてくれる。

良質なクリスチャンが到底理解してくれないであろうことも、似たような経験や、自分より酷い経験をしている人に会うことで孤独感もなくなったし、ありのままの遊女であることを初めて楽しく思えた。

今まで誘惑する卑猥なガキだと悪者にされていたのが、今度は正真正銘自ら選んで行っている。

なぜかすごい優越感。こいつら皆に罪を犯させて道連れにしてやるって。

でもクリスチャンホーム内で虐待はあったもののその他はガチガチのキリスト関係ばっかの人生だったから良識のある悪人どまり(笑)

よく考えたらイエス様はそんな世界に降りて来てくれたんだよな。

ほんとゲスな世界なのに。

性的虐待をしていた養父も、風俗まで自分から落ちてったわたしも、クリスチャンなんだと。

そんなことする人がクリスチャンじゃない、神様を愛してイエス様を信じている人がそんなことしないって思う人のが多いし、矛盾だらけなんだけど、だけど神様の前では罪の大小なんてないんだと思う

どれだけ清らかな生活を送っていたとしても、誰一人としてイエス様の導きがなければ天国にはいけない罪人なんだから。

そう思うとようやく養父も自分も赦してあげてもいいかなと思うようになれたよ。