悔い改めと断食

クリスチャン

断食?絶食?ダイエット?

 

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梅流しデトックスしてみた

お酒を飲むことが仕事なため日々の食生活が乱れています。暴飲暴食によって疲れた胃腸を癒すため、そしてダイエットの目的も兼ねて梅流しデトックスをしようと思い二日間の絶食をしています。
最近の流行で断食ダイエットがありますが、断食と絶食には違いがあります。
断食は宗教的行為で、絶食は医療行為や美容、健康目的、罰などです。
なので今回私の行っているのは絶食デトックスですね。
胃が弱り過ぎていて二日目でも空腹を感じませんが・・・。
クリスチャンが行う断食には色々な理由があります。導きを求めるものだったり、奉仕の備えだったり。
その中で悔い改めを示すための断食には良い動機と悪い動機があります。

良い動機について

ヨエル書212には主の慈しみについて書かれています。
ここでは悪かったことを認め、断食と嘆き、悲しみをもって主に帰れば憐れんでくれることが書かれています。
マタイ38には悔い改めにふさわしい実を結べと書いてあります。このように悔い改めるには心と行動を入れ替える必要があります。

悪い動機について

マタイ616-18に断食は他人へアピールに使ってはいけないと書かれています。
ルカ:189-14にはパリサイ人と取税人の祈りについて書かれているところで、パリサイ人が偽善的に断食をしていることを神様が見抜かれています。
そしてイザヤ583-6には日頃行っていることの罪滅ぼしとして行う断食を主は望んでいないと書いてあります。
反省してその行いを止める意志がないのであれば、主に受け入れられない。

悔い改めたくない時

クリスチャンと名乗るには未熟すぎると思うのは性に関する罪に弱い、弱すぎること。
他の事柄は一般的な感覚を持っているとは思うのだけど、こと性に関しては一般人よりも奔放だと認識している。
世に言うクズである。
そしてそれを自分のサガだと、諦めて受け入れている。
今まで何度も繰り返し悔い改めて、止めようとしてきたけど、結局同じことの繰り返し。
「齢四十で変われない、クズは一生クズ。」そう言われて、過去を振り返り、現状をみて、否定できない。
弱すぎる意志は教会を数週間離れただけで脆く崩れる。
だって、止めたくないから、求めているから、心から悔い改めたいと思えないから。

人間関係の重要性

上記に述べたように数週間教会に行けなかったその間、水商売の人たちと接する時間が多かった。
初めはクリスチャンである自分が居た。友営(友達営業)に徹すればこの仕事もやっていけると思っていた。
だけど価値観が変わっていく、それも一度染まり切っていたことがあった色だけに、簡単に染まる。
怖いぐらいに罪に対して無感情になっていく。
欲望に忠実に生きる人たち囲まれていると、自分が守らなければいけないラインが見えなくなってくる。
私は周りの人に影響されやすい。
行動を、教会に行く行動を起こさなければ変われない。
こんなクズはクリスチャンじゃないと思う人が多い思う。
だけど信仰を捨てた時に底辺まで落ちきったことがあるわたしは、いまなんとか持ちこたえられているのは十字架の力だと思ってる。
底辺にも十字架の光は届いているから。