婚外性交渉の実害について考えてみる

クリスチャン

姦淫ってなによ?

 

聖書に書かれている姦淫とは、不倫も未婚同士の場合もどちらも含まれます。

なんでいけないことなのか、理屈ではわかるんですが、感覚として理解できない人と多いはず。

 

無駄に多い実体験からなぜ神様が禁じたのかを考えてみました。

 

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ロストバージン

昔クリスチャンの友達にバージンは未来のパートナーに渡すプレゼントのようなものだと聞いた。

それには綺麗なラッピングがしてあって美しい。

でもそのプレゼントはリボンが外れていたり、包装紙が剥がれてたり、箱が開けられていたりすることがある。それはキスだったりペッティング(本番以外の性行為)によるものだと教えてもらった。

 

初彼氏ができたのは19歳、家族や教会の友人から隠れていました。女友達に会うと言って外出してました。ノンクリの友達には公認だったので、まあまあ普通の付き合いだったかな?

 

ただ、終わりかたが最悪で、クリスマスの日に相手の二股が発覚、前日のイブは本命の彼女と過ごしてたそうです。この時から私が一番の関係を築けなくなりました

 

二人目の人は7歳ほど年の離れた社会人大学生でクリスチャン。医者の息子で、集団レイプをした経験を武勇伝のように話す元暴走族。親に結婚を反対をされて別れて地元に戻ったのに、大学を辞めて追ってきた。その時にはすでに次に好きな人ができていたのでスルー。

 

三人目は元ホストで風俗店経営者と不倫。この時から風俗で働くことや、浮気に抵抗がなくなる。不倫相手に対して浮気っていうのも変な話で、罪悪感も持つことも浮気を咎められることもない。誰にも言えない恋愛関係、人間関係が増える。

 

四人目は真剣に付き合うものの、過去三人の影が消えず、相手に不安を与えてしまう。試し行動を頻発させてフラレてしまう。その後妊娠に気がつくがお互いに寄りを戻すことを望まず、一人で出産。

 

ここまでが出産までの恋愛経歴。実は初めてラブホでヤル時に、神様の声を聞きました、ガチな声でした。止めてくれたんだけど、自分の道を選んでしまった。

その時は虐待の痕を消すことに必死。話を聞いてくれて、心配してくれる人。虐待されていたことに対する怒りによるわたしの暴力行為も受け止めてくれる。

その後に他の恋愛で傷ついたり、薬物に溺れたときも匿ってくれた。20年経ったいまでも初彼は安否確認をしてくれる。

でも、ロストバージンしてからはたがが外れてしまい、暴力的、自称行為的な付き合いが増えていきました。ちゃんと神様に癒される必要があったのに。

 

虐待の傷はカウンセリングなどで癒す必要があったのに、放置され、悪化した。教会で祈って、痛みを告白して治ったと思ったのに再発した。セックスによる希釈効果を期待しつつも、溺れてしまった。

 

結論としては姦淫によって癒される傷はなかった。なぜ聖書が厳しく禁じたのかよくわかる。人の貴重な時間、人間関係、性病、精神の崩壊、レイプ被害、罪悪感など様々な感情の喪失がデフレスパイラルのように起きるのだ。

 

人から隠される関係、隠さないといけない彼氏、後ろめたい。

セックスするたびに肉がそぎおとされる感覚。

クリスチャンに見せられない関係もすべて神様は知っている。

クズだと認識する。

人間としての価値がなくなる。

傷が新しい傷を作る。

 

結果的に姦淫よって子供が生まれたのだから必然だったのか?

行為事態に益はなかったのだと感じる。誰にも言えない関係は心が少しづつ壊れて無感動になっていく。

姦淫とはと神様が用意してくれた幸福感を受け取れなくする行為、なんだと思う。