どんな願いでも祈ってもいいの?元カレの今カノさんからメールが来た!

maria クリスチャン

今カノさんから転職を進められている話

この手の経験談ってネットにはいくらでもあるやろぉと思いきや、今カノに転職をあっ旋しようとする話はなかった(笑)

思い込みって怖いです。勝手に頭の中で元カノである私のキャラが出来上がっているのでしょう。

2度もお断りしているのにも関わらず、締めのことばと言いながら諦めきれてない様子。

彼氏と同じ会社に元カノがいるのは不安かもしれないけど、彼氏に転職をお願いするならわかるけど、元カノに転職迫るって・・・なかなかのレアパターン。

お話し自体は断るのが勿体ない内容だったんだけど、業種も違う、やりたかった仕事でもない、わたしの事を知らない人が転職を進めてくる。いくらクリスチャンの姉妹といえ、会ったことも無い赤の他人、どちらかといえば敵視してくる相手に転職の手引きをお願いしたいと思えるわけがない。

昔の恋人のことなんて何故聞く?清算済みの関係について詮索するってどれだけ不安なの、余計不安になるだけだろうに。

タイプは違えどメンヘラと付き合ってしまう元カレ君、ご苦労様です。

 

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クリスチャンって何を願って祈ってもいいのか?

ぶっちゃけ彼の前から消えてほしいという願望を祈っていたそうで。

祈りってどういうものだっけかと考えさせられました。

 

お手本はずばり主の祈り。マタイによる福音書6章9節から13節です。

ですから、こう祈りなさい。 『天におられるお父様。 あなたのきよい御名があがめられますように。 あなたの御国が来ますように。 天の御国でと同じように、この地上でも、 あなたの御心が行われますように。 私たちに必要な日々の食物を、 今日もお与えください。 私たちの罪をお赦しください。 私たちも、私たちに罪を犯す者を赦しました。 私たちを誘惑に会わせないように守り、 悪から救い出してください。アーメン。』
マタイの福音書 6:9‭-‬13 JCB

主の祈りの中には自分の欲望を願う言葉がないんですよね。

自分のために祈っていることは、

生きていくために必要なものだけを与えてください、

他人を赦しますからわたしの罪も赦してください、

試みにあわないようにしてください、

悪より救ってください。

 

正直わたしは祈りについて語れるだけのものを持ち合わせていないですし、水商売やってるあたり教会からは遊女扱い受けるだろう自覚はあるものの…

がしかし、わたしが誘惑する者、取り除かれるべき躓きの石として排除されるために祈ってますと言われてしまうと、さすがに、傷つきますね、相手がクリスチャンなだけに。

確かにまっとうな信仰を歩んでいる人の躓きの石にはなったことがあるかもしれないけど。

祈りって神様と自分との対話であるのに、わたしに伝えることで、それは意識的に願望を押し付けてくる行為に代わってしまう。

いくら幸福になることや、祝福がありますようにと締めくくったところで、存在を否定されるような祈りをされたことにいい気分になるわけがないのに。

 

祈りは免罪符ではない

「祈りっています」ということで、自分の意思を押し付ける免罪符になっていないか?

自分の思いを祈りという形にすれば言いたいこと、主張したいことを神にも「人」にも聞いてもらえる。それはつまり、誰にその願いを聞いてほしいのか、焦点がずれていないか?

今夜は主の祈りから祈ってみようと思う。