虐待の後遺症・搾取されている安心感

虐待

首輪が外れない

多くの虐待サバイバーが負う傷は人生を長い時間かけて蝕み続ける。

別にフラッシュバックがあるわけでもないけれど、長い時間をかけて行われたマインドコントロールはその支配下から離れても、考え方としてこびりついている。

新しく依存・支配されることを望む。その相手によって人生が良いものとなる時もクソとなる時もある。

 

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風切羽を切られた籠の鳥

「不安は自由の眩暈である」 キェルケゴール

自由に生きるってどういうことなのだろうか?それはわからないが誰しもが学校、会社、社会、人間関係、国、言葉、経済、人種、どこにいても何かしらに囚われている。

最も身近な家族に虐待で縛られてきた人間の視野は狭く、無限の自由は深淵の闇にしか見えない。

虐待の非情なところは、自己肯定感を奪うこと。自分に自信が持てず、人に依存し、甘え、支配されたがる。

経済的に自立もしていても、恋愛に溺れ、搾取される苦しみに耐えることを愛情表現の一種だと思って行動してしまう。

どう考えても自分に不利益にしかならない相手とわかっていても、利用されていることに存在意義を見出してしまう。

子どものころにラジオで聴いていたユーリズミックスの Sweet Dreams の歌詞をよく思い出す。

Some of them want to use you [誰かがあなたを利用したがっている]

Some of them want to get used by you [誰かがあなたに利用されたがっている]

Some of them want to abuse you [誰かがあなたを虐待したがっている]

Some of them want to be abused [誰かが虐待されたがっている]

 

搾取されることへの依存

「搾取される」ことに依存している人は多いのではないか?

M気質の延長線なのか、尽くしている自分に酔っているのか?恋愛依存なのか?

恋人同士、客とホストといった明白な関係性がないのに、ただ離れてほしくないだけで、必要もないはずなのに依存することを望む。

壊される過程を楽しんでいる。

いつでも引けるはずなのに、前進することしか出来ないと自分を思い込ませる。

軌道修正すればいいのに目を瞑って歩く。

死ねばいいのにって思って生きているから。